2012年9月20日木曜日

がん経験者の自殺念慮、自殺未遂のリスク

2011131日のNHKクローズアップ現代で取り上げられた問題を掘り下げようと思い以下のサイトを見つけました。今後の活動に繋げるために拙訳を掲載させて頂きます。



苦痛や肉体的変化のあるがん経験者は、治療の後も長い年月にわたって自殺念慮を背負っているかもしれない。

ボストン―大人になった小児がん経験者の8人に1人以上が、治療のあと長い年月を経てもなお自殺念慮を持っている、あるいは以前に自殺未遂を企てたことがある、とダナファーバーがん研究所のサイエンティストはいう。

自殺の兆候は、大人のがん経験者に対するケアを提供している医療機関において、12%以上の患者―それは予期したより大変多い割合だ―から報告された、と「がん臨床ジャーナル」820日号に書かれている。

調査結果によると、経験者向け医療機関の従事者は、フォローアップで患者を評価する際に、身体的要因と感情的要因の両方を考慮すべきである、という。

「経験者のたいていの人は元気でやっているが、少数の者には自分のいのちを終わらせようと考える深刻な懸念が存在している」とこの論文の著者であるChristopher Recklitis博士はいう。彼は公衆衛生学修士で心理学者、ダナファーバーのPerini家族サバイバーセンターの研究所長だ。

以前の研究では、がんの診断の後の何ヶ月かにおいて患者たちの中で自殺念慮が一次的に亢進することが確認されていた。この新しい研究では第一に小児がんの治療後、長い年数、場合によっては数十年経ってから自殺が相当なレベルに達することを実証し、生涯にわたって身体機能に影響を及ぼすことが示唆されている。

Recklitisと彼の仲間は、226人(男性100人、女性126人、平均年齢28歳)の成人した小児がん経験者に参加してもらって調査を実施した。

面談した参加者は、悪性リンパ腫から白血病、骨肉腫、ウィルムス腫瘍に至るまでの小児がんで、最初の診断から平均18年が経過していた。

脳腫瘍と診断された人はこのグループには含まれていなかった。

 調査の参加者には、標準的な尺度のQOL評価や、自殺念慮、抑うつの兆候、痛み、そして身体的な健康状態の評価が実施された。

全部で29人の経験者に何らかの自殺兆候があると報告された。

19人の患者には自殺念慮のみが確認された。1人は以前に自殺しようとしたが今はもう自殺を考えることはなくなったと答えた。9人は自殺しようとしたことがあり、今も自殺について考えていると答えた。

29人のうち11人の経験者には、評価尺度に基づく著しい抑うつがあると考えられた。

自殺念慮のある経験者を識別するには、抑うつについて尋ねるだけでは足りないことが示唆された。

データの分析によって、自殺兆候により関連のある要因は、診断の時期がより年少であること、診断からより多くの年数が経過していること、そして頭部へ放射線治療がなされたこと、であることが示された。

後者の治療形態(頭部放射線治療)は―今日ではあまり頻繁に使われることはなく線量も少なくなっている―成長の遅れや身体的な機能不全、記憶や認知機能の障害、二次がんリスクの増大の原因になりうる。
 
患者はまた、もし抑うつや絶望感を感じたり、苦痛を感じていたり、身体機能に問題を抱えていたり、あるいは外見を心配していたなら、自殺の兆候を報告するようであった。

「身体的な健康と苦痛の関係は重要です」「なぜならこれらは経験者がフォローアップケアを求める治療可能な条件を潜在的に意味しているからです」と著者は書いている。

身体的、精神的な健康と自殺との複雑な関係がベールを脱ぐとき、研究は「経験者のケアに対する学際的なアプローチの必要性を強調」する。

国内の経験者クリニックの成長と共に、心理学的な患者のスクリーニング方法を改良することが大切だ。「それはプライバシーに立ち入ったものではなく、私たちにこの重要な情報をもたらすものでなくてはならない」とRecklitisはいう。彼はハーバード大学医学部の臨床心理学の講師でもあるのだ。

***

 
この研究はLance Armstrong基金から資金提供を受けました。

ダナファーバーがん研究所(www.dana-farber.org)は、ハーバード大学医学部の主要な教育系列機関であり、米国の先端的ながん研究とケアセンターの中に位置しています。それはダナファーバー/ハーバードの創立メンバーで、国立がん研究所によって指定された包括的ながんセンターです。


Survivorを経験者と訳しました。文脈に応じてサバイバーと表記しているところもあります。

2012年9月8日土曜日

新しい価値体系への変革を促す

神谷美恵子氏の「生きがいについて」を内部勉強会のテキストに選んだ。美智子皇后の相談役として有名な人で、戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人だそうだ。

御自身も肺結核の経験があり、医師としてハンセン病患者に奉仕しようと決意され、1957年(昭和32年)に長島愛生園におけるハンセン病患者の精神医学調査を開始された。

1935年、コロンビア大学留学、1944年、東京大学医学部精神科、1952年、大阪大学医学部神経科、1960年、神戸女学院大学教授というような経歴であり、日記によると神戸女学院大学におられた頃に、この名著「生きがいについて」の大部分を執筆されたようだ。
 
「生きがい」という言葉は、英語では、「生きる価値または意味のある」と訳されることが多い。同じようなことばとして「はりあい」がある、と書かれている。

生きがいといったとき、「生きがいの源泉、または対象となるもの」を指す場合と「生きがいを感じている精神状態(生きがい感)」を指す場合があると説明されている。

母親にとって子どもは生きがいです、という場合は前者の「生きがいの対象」として子どもを認識しているということになるだろう。一方後者の「生きがい感」とはヴィクトール・フランクルのいう「意味感」に近いと神谷氏はいう。

「もっとも多く生きた人とは、もっとも長生きをした人ではなく、生をもっとも多く感じた人である」とルソー(仏、1712-1778)がいったことばをP23で紹介している。

ここを読んでいて、その「生をもっとも多く感じる」ことのひとつとは、前回のブログでも触れたコージブスキーの構造微分図でいうラベルより以前の認識段階であるObjectや無濾過のリアリティのレベルがもつ深みの体験なのだと思った。フランクルのいう体験価値に近いだろう。

ハンセン病患者、男性軽症180人への調査を行った結果が出てくる。

  ・毎日、時を無駄に過ごしている

  ・無意味な生活を有意義に暮らそうと無駄な努力をしている

  ・退屈だ                       (P5)
 
  ・先のことを考えると暗黒で絶望しそうだ

  ・どうしたらいいか分からない

  ・生きたくない、一日も早く死にたい

  ・身内のために自分は死んだ方がいいから、あと5年したら自殺するつもり

  ・苦しい別世界を知り、人を信じなくなった

  ・どうにでもなれ

  ・愚問である。どうしてこんなことを聞くのかP278


約半数の人が「無意味感」に悩んでおり、将来に何の希望ももっていなかったとしながらも、一方で約半数の以下のように人生を肯定的にとらえる人が存在したという。
 
  ・より良く人生を肯定しうるようになった

  ・心ゆたかになった。安らかになった

  ・心が高められ、人の愛、生命の尊さを悟った。

  ・事業欲、出世欲が消失し、潔白になった。
 
  ・人生の目的を知り、人生を咀嚼する歯が丈夫になり、生きる意味を感じる。
 
  ・考え深くなり、あらゆる角度からものを考えるようになった。   (P276

  ・ここの生活、かえって生きる味に尊厳さがあり、人間の本質に近づき得る。将来人を 愛し、己が生命を大切に、ますますなりたい。これは人間の望みだ、目的だと思う。(P5

 この違いはどこからくるのであろうか?
 
その違いを生んだ「変革体験」がある人たちのことについては813日のブログ「変革体験によってもたらされるPTGhttp://blog.zaq.ne.jp/nagamasa/article/240/で触れた。

そのような劇的な体験であろうと、緩やかに静かに進む体験であろうと、「価値体系の変革」がそこには存在していると神谷氏はいう。

心の世界のくみかえは、どんな経路にせよ、ひとたびこの変革が起こると、一般の人々は多少とも異なった価値体系を採用することになる。
そのため、現生の中に以前のように埋没してくらすことができなくなる。(P270

そのような価値体系の変革がなされた人として重い知的障害の子どもを育てたパールバック(1938年、ノーベル文学賞)の例を描いている。(以下より引用)

・すくすくと自然に育ってゆく近所の子どもたちが、私の娘にできないことを話したり、したりするのを見ただけで、私は、打ちのめされたようになってしまうのでした。
・とにかく、悲しみとの融和の道程がはじまったのでした。第1段階はあるがままのものごとをそのまま受け入れることでした。
・私はそれまでのように、「なぜ」という疑問を次から次に持たなくなりました。(P152
・私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみは耐える可能性のあるものだということを理解できるようになったのでした。
・なぜ自分だけがこんな目に会わなくてはならないのだろう?(P146
・長い絶望の期間の後にパールバックを再びしゃんとさせたのは、この事を無駄に終わらせてはならない、娘の不幸を社会的に意味あらしめようという激しい意欲であった。(引用ここまで)

こうして子どもの生きていた証を立てようとする母親は小児がんの喪失家族にも多く見られる。引き続きパールバックに関する神谷氏の記述から引用する。
 
(以下引き続き引用)
・たったひとりの娘がふつうに育たないことが分かったとき、他人は「好奇の眼」で彼女を眺め、暗黙の内に非難した。
・パールバックがそれにどんなに苦しめられたか・・・
 
 これは病弱な子を持った母親、欠陥のある子の母、子どもを「死なせた」母に対して良く浴びせかけられる冷たい非難の声なのだ。(p167)


・こうした世間の性急で皮相な価値判断を完全にそのまま受け入れるならば、まったく立つ瀬がなくなるわけである。
・たとえ表面ではあたりさわりなくやっていても、心のなかでしゃんと顔をあげて生きるためには、何か自分なりの新しい価値体系をつくり出す必要に迫られる。
・そこで彼らはそれまでそこで埋没して生きて来た社会や集団との間に距離をおき、そこで行われている価値基準をあらためて検討してみることになる。
・すると、多くの場合、それはずいぶんといいかげんなものだったことを発見するであろう。(p167
・習俗によって決められている価値基準にせよ、ある集団の有力者たちの意見によって左右されている価値判断にせよ、単に大ぜいの人が受け入れているから、というだけで正しいとされていることが多いのではないであろうか。


 ・価値判断のしかたをほんのちょっとずらすだけでも、ものごとはおどろくほど違って見えてくる。

・健康な人、外観の美しい人が必ずしも人間として価値のある存在とは限らない。(p168)
・教養や成功や社会的地位が人間の価値を決めるものでもない。
 ・立派な夫や子をもつ主婦が必ずしも人間として値打ちの高い者とはきまっていない。
・このようなネガティブな判断だけでも自分のものとすることができれば、自分の劣等感に苦しむこと、他人の批評に苦しめられることだけはなくなる。(引用ここまで)

 

価値体系の変革・・・

価値体系の変革・・・

 そう、エスビューロー(小児がんNPO)は「価値体系の変革」を促していたのだ!

私たちは、小児がん経験者、そして喪失家族には「コミュニティ」が必要であるとの認識から、インテグラル理論の四象限で示される左下象限、すなわちWe「私たち」の領域を豊かにする取り組みを行ってきたが、それは単に「ひとりじゃないよ」ということではないのだ。

少なからず、パールバックのように「価値体系を変えざるを得ない」と考えた喪失家族の先輩たち、小児がん経験者の先輩たちがいて、その先輩たちが培ってきた「新しい価値体系」が、後輩たちをサポートするのだ。

習俗によって決められている価値基準にせよ、ある集団の有力者たちの意見によって左右されている価値判断にせよ、単に大ぜいの人が受け入れているから、というだけで正しいとされていることが多いのではないであろうか。

これなどは、まったく喪失家族が直面した子どもの葬儀・法要の問題の構造を言い当てている。そして811日の大会で行われたロスカレッジで葬送ジャーナリストの碑文谷氏が指摘してくれたのはこのことなのだ。

左下象限のWe「私たち」によって、価値体系の変革を促す。

これがエスビューローの目指す新しい価値であり自分たちしかできない社会的役割であるといえよう。