2018年8月4日土曜日

ポスト・トラウマティック・グロース(Posttraumatic Growth)

先日の第11回小児がん脳腫瘍全国大会in広島で、原ドクターからポスト・トラウマティック・グロース(PTG)について言及がありました。
先生からのお話の通り、私どもエスビューローではすでに2011年8月6日の第4回全国大会で長崎ウェスレヤン大学の開浩一先生を迎え「ポスト・トラウマティック・グロースを考える」というシンポジウムを行っていました。以下のリンクがその時の概要です。パラリンピック・アスリートとして今では東京五輪誘致のスピーチメンバーとして有名になった佐藤真海さんもゲスト講師として、まさにPTG的な体験談をお話しいただきました。

PTGについては2010年頃から小児がん経験者への適応について団体内で検討していました。以下はその頃に書いた記事(2010年8月6日の私個人のブログ)です。やや古いですが「苦難からPTGに至るプロセスの3つのパターン」について解説していますので、ここで再掲させていただきます。
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先週末の第3回大会を終えて最も印象に残った言葉は「ポスト・トラウマティック・グロース」です。英語ではPosttraumatic Growthです。心的外傷後ストレス障害をPTSDと略しますが、こちらはPTGと略して表記します。PTGとは、人生における大きな危機的体験や非常につらく大変な出来事を経験するなかで、いろいろ心の闘い・もがきなどをふまえ、むしろ、そのつらい出来事からよい方向、成長を遂げるような方向に変化するといったことを意味します。

大会2日目に日本医科大学小児科の前田美穂先生から「そういった大変つらかった経験が成長のいい方向につながったというデータも最近結構出てきています」として小児がん経験者のPTGについての話が5分ほどありました。

厚生労働省の研究班で実施したアンケート調査によると、小児がん経験者のPTGといえるものとして

「自分の命の大切さを痛感した」
「人間がいかにすばらしいものであるかを学んだ」
「他者に対してより思いやりの心が強くなった」

という回答が見られたようです。また、

「トラブルの際に人を頼りにできる」
「人との関係に更なる努力をするようになった」
「物事の結末を、よりうまく受け入れられる」
「一日、一日を、より大切にできるようになった」
「新たな関心事をもつようになった」
「自分の人生に新たな道筋を築いた」
「自分の人生でより良いことができるようになった」
「その体験なしではありえなかった、新たなことができるようになった」
「変化することが必要な事項を、自ら変えていけるようになった」

というような小児がんの経験によるプラスの変化も報告されました。

興味深く聞いていました。というのも私の方でも昨年度の小児がんサバイバーヒアリング調査の一環として「病気によるマイナス面が多いかとは思いますが、闘病経験がむしろ自分にプラスになったようなことはないでしょうか?」といって高校生、大学生を中心としたサバイバーたちとディスカッションをしたことがあったからです。

以下にその時に出たいくつかの言葉をそのまま抜粋してみると
立場の弱い子を助けてあげる(ようになった)というのはあるかもしれない。ひょっとして入院していなかったら、一部の弱いものにたかる(弱い者いじめする)しょうもない人間になっていたかもしれない。〈大2 男子〉

過去のあやまちに気づいたというか、あの時オレはおかしかったな、オレが悪かったな、とかそういうの、だいぶ思うように、なっていますね。(相手の気持ちが分からず自己中心的であったことを反省)〈高3 男子〉

中学校のときクラスが荒れていて、自分とか周りのことを大切にしない子が多くて、病気していなかったら自分も同じようになっていたかもしれないけれど、病気をしたので自分も大切にしないといけないし、周りの人も大切にしないといけないということを学べたと思うし、メンタル面では粘り強くなったり、成長したなって思える時もあったりして、それで良かったかなって。〈高2 女子〉

また最近、テレビ会議システムを利用した小児がん経験者のコミュニティである「ネットでeクラス」の中で、「病気になってから今までで何が変わりましたか?」について問いかけたところ、「将来や人生に対する考え方」が変わったと4人の子どもたちが話してくれました。
中学1の女子(小4で発病)
人の痛みが分かるようになった。(以前は)おじいちゃんに何か言われるとうるさいなあとか言ってたけど、いまは大丈夫?とか声をかけられるようになった。

高校2の女子(小3で発病) 
(病気に)なった時が小学生なので深く考えてなかったかもしれないけれど、病気になってからは人の役に立ちたいというのをすごい思うようになって・・・。
(Q.それはすごいつらい目にあって、いろんな人のお世話になったからそう思うようになったのかな?)そうです。5,6年生くらいになった時にはそう思うようになってた。
(Q.6年生までバンダナしてたよね、だからむしろいじめられないかとか心配だったのかと思ったけど)
結構周りの友達とかも助けてくれたりしてたから。恵まれた環境にはいたと思う。

高校3の男子(中3で発病) 
中3までは人の点数を気にしたというのが一番あったんですが、そんなことしてたら立ち直られへんということで、人と比べないことが大事やと(気づいた)いうのがありました。
その辺のときの落ち込み、ショックから(Q.将来心理カウンセラーになりたいと思うようになったのでしたね。)立ち直った時に人の役に立てる、同じような思いの人に伝えられたらみたいな(思いからです)
(Q.精神的に強くなったということがありますか?)
僕の場合なんですけれど、病気をして、落ち込んで、救いを求めたときに仏教の話にちょっとはまったんですよ。お釈迦さんの言っていることといまの自分の状況が結構あうというか、でもこれは宗教なんで・・でもそういうのがあって乗り越えてこれた。

大学1の男子(0歳で発病) 
生まれてすぐに背骨のところに腫瘍があって、だからずっとこんな体なんですけれど
病気じゃなかったら、全くというわけではないけど、そういう人の痛みが分かららなかったと思うし、高校一年のときに背骨の手術したんですけど、その時に、いろんな病気を抱えた人の姿なんかを見たりして、将来的には難病と言われる人の病気を治せるような技術みたいなのを開発したいなあとかいうことを考えています。
(Q.いつ頃からそう思うようになった?)
人の役に立ちたいとか思うようになったのは小学校の1年ぐらいの時です。


この時の「ネットでeクラス」にはNHKのカメラも入っていたのですが、テープ起こししながら録画した映像を見ていてあらためて思うのは、この4人のコメントはどれもPTGを表現しているということです。

長崎ウエスレヤン大学の開浩一氏の論文「Posttraumatic Growth(外傷後成長)を促すものは何か」には、「気づき」「ソーシャルサポート」「アクション」に3つがPTGにつなぐ重要なものとしてあげられています。http://ci.nii.ac.jp/naid/110004868553

まず人生における危機的な出来事を「イベント」といいます。そしてそのあとに必ず「苦悩:distress」の段階があります。そしてこの苦悩からPTGに至るプロセスに3つのパターンが見られるといいます。

①イベント→苦悩→実感→気づき→変わる決意→PTG

苦悩している時は、大切なことへの気づきを促し、この気づきがイベントとPTGをつなぐ重要な役目を果たすのではないかという仮説を開氏は提示しています。上記の高3男子の「人と比べないことが大切だ」という気づきは、まさにこのプロセスに近いものではないでしょうか。大切なことに気づいたから、変わろうと決意し、プラスに変わるというプロセスです。

イベント→苦悩→サポート→感謝/恩返し→他者への思いやり→新たな可能性
二つ目の開氏の仮説は「ソーシャルサポートがPTGを導く」というものです。「周囲の人の並列的な寄り添いや共感が支えとなりPTGに導かれる」と彼は述べています。「周りの友達も助けてくれたから」という環境に感謝し、「周りの人を大切にしないといけない」という思いが強くなった高2の女子。また彼女と同じように「人の役に立ちたい」と話した大学1年の男子は難病に役立つ技術の開発という「新たな可能性」に言及しました。そして彼と同様に人の痛みが分かるようになったと話した中1の女子も「他者への思いやり」が芽生えたことに触れています。

イベント→苦悩→アクション→成功→自信→自己の強さ

また、開氏は「行動に移した結果、成功すると、それが自信となり自己の強さに変わる様子が伺えた」ことから「アクション」も重視していますが、これは昨年に行ったサバイバーヒアリング調査に応えてくれた社会人男性の言葉の意味していたことと同じです。「いろいろ動いて情報を得ようとしないと道は開けない。できる範囲で動いて道を探そうとアクションすることが必要。動かないと事態は変わりようがないので。人に会うなり、本を読むなり、テレビを見るなり、何でもいいんですけれど。」そして彼は後輩の子どもたちへ

Although you may not notice、you become stronger day by day in the battle with your disease.
気付かないかもしれないが、あなたは病気と闘う中で日々強くなっている。

という言葉からはじまる激励のメッセージを残してくれました。


すでに上記の例の中にもいくつか見ることができましたが、PTGは「他者との関係(Relating to Others)」「新たな可能性(New Possibilities)」「人間としての強さ(Personal Strength)」「精神的変容(Spiritual Change)」「人生に対する感謝(Appreciation of Life)」という5つの領域に分類されるようです。高3男子の「お釈迦さんの言っていることと…」のような気づきは「精神的変容(Spiritual Change)」に該当するものなのかもしれません。
これらの分類についてはまた回を改めて取り上げたいと思います。
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小児がん領域におけるPTGが再度注目されそうです。私どものホームページのトップに出てくる「困難は成長に変えられる」とは、まさにこのPTGのことを指しています。そしてそれはこのブログで取り上げている「価値体系の変革を促す」とも関連しています。
https://childcancerconsul.blogspot.com/2012/09/blog-post.html

2016年8月23日火曜日

過去との共同体感覚

当団体は阪大病院で小児がんのため子どもを亡くした母親らが中心となって、当時の主治医らが協力する形で2000年に発足したNPO法人です。
 
今日は少し特別な日なので、アドラーのいう共同体感覚のうち、「過去との共同体感覚」について書いてみようと思います。
 
共同体感覚とは、ありのままの自分を受け入れることができ(自己受容)、ここにいてもいいと感じられ(所属感)、他者は仲間であると信頼でき(他者信頼)、自分は他の人の役に立っているという実感がもてる(貢献感)、そんな対人関係の感覚であるといえます。

ですから通常は、学級や職場あるいは近隣の地域など現在自分が所属しているコミュニティに対してもつ感覚なのですが、アドラーは未来との共同体感覚、過去との共同体感覚、さらには生きとし生けるものを超え、宇宙まで含めた共同体感覚にまで言及しています。

「未来との共同体感覚」とは、http://nagaalert.hatenablog.com/entry/2016/06/26/174914
に書かせていただいたように、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」で、祖母役の大地真央さんが話した言葉がまさにそうです。

木材ってのは、いま植えたもんじゃない
40年、50年前に植えたものが育って商品になる
だから植えたときは自分の利益にならないのさ
それでも40年後に生きる人のことを思って植えるんだ
次に生きていく人のことを考えて暮らしておくれ

 「次に生きていく人のことに思いを馳せられる」、これがまさに「未来との共同体感覚」でしょう。

では「過去との共同体感覚」をどのように考えればいいのでしょうか?

冒頭に触れたように当団体の原点には、阪大病院での小児がんの闘病生活がありました。二人の子どもの短かったけれども深い生があったこと。その生があったからこそ当団体が発足し、16年を経て現在に至っているのです。これまでも、そして今も、その生は当団体に、当団体の活動に、当団体の理念に、当団体のビジョンに息づいています。

その生がなければ、私たちの世界、特に当団体に関わるメンバーの見る世界はまったく違った世界になっていたでしょう。

当団体は存在していなかったでしょうし、小児がん脳腫瘍全国大会も開催されていないでしょう。そこで発信してきた数々の知見についても皆さんへの伝わり方は大きく違っていたことでしょう。

人と人との関係も変わっていたでしょう。私自身もこの活動に関わっていなかったでしょう。人生は大きく変わっていたに違いありません。

彼らの短くて小さな生は、どんなに大きい影響を与えてきたのか。いや今も与え続けているのか。そのことに思いを馳せるとき、驚くほどの縁起(仏教でいうところの)を感じざるを得ません。

縁起とは英語でdependent co-arizing と表現されると昔読んだ何かの本に書かれていました。「相互依存的連携生起」と訳されるそうですが、亡くなって尚、相互に関係しあい、そこに息づき、新たなものを創造し続けているのです。不思議ですね。

亡き親に対してそれを感じる人もいるでしょう。恩師にそうした感覚を感じるかもしれません。お盆には先祖にそうした思いを感じた方もおられるでしょう。

そしてその実感こそが、「過去との共同体感覚」なのではないでしょうか?

今日という特別な日に思いを寄せてこれを書き記しました。

2016年7月1日金曜日

アドラー心理学に対する短絡的な誤解や批判について

読売オンラインに岸見一郎氏が書かれた記事はこちらです。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160627-OYT8T50061.html?page_no=1

アドラー心理学に対してしばしば短絡的な解釈による誤解や批判があるといいます。小児がん領域においても、大切ではないかと思ったポイントを以下に抜き出しました。

アドラーは、行為だけでなく人生についても、自分の運命を変えられないものと見たり、不幸なままであるとは考えたりせず、「自分は自分の運命の主人である」(『性格の心理学』)と考えた。

短絡的な批判①(アドラーの考えは)「あなたの不幸はあなた自身が選んだものである」「病んだのは本人のせいである」というような自己責任論だという批判をされることがある。
...
しかしアドラーは、自分の行為について、その選択の責任は自分にあるといっているのであり、(自分の選択に対して責任を問うのは必要なことですが)「あなたが選択したのだから、その選択に伴う責任はあなたにある」と、選択したことで窮地に陥った人を責めたり、そのような人を自己責任だとして救済しないことの理由にするのは間違っているし、アドラーの思想とは関係がない。

短絡的な批批判②アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」といった(『個人心理学講義』)。これに対しては、遺伝のことなど考えれば、何でも成し遂げることなどできないという批判がされてきた。

しかし、アドラーの主眼は、才能や遺伝などを持ち出し、自分はできないという思い込みが生涯にわたる固定観念になる可能性に警鐘を鳴らしているのである。

短絡的な批判③アドラー心理学は「人生は思いのままになる」というようなポジティブ思考だという批判をされることがある。

過去につらい経験をした人は、そのことがトラウマとなって今不幸であると思ってしまいがちだ。
アドラーがトラウマを否定したのは、私たちはつらい経験をしても生きていかなければならないからであり、自分が取り組まなければならない課題に対してトラウマを理由に回避してはいけないからである。

2016年6月17日金曜日

存在していること、それ自体が貢献である

「えらかったね」という褒めことばよりも、「ありがとう」、「たすかったよ」という言葉の返しの方が、子どもに貢献感を持たせることができ、勇気づけることができる、と岸見一郎氏はいいます。

そしてそれは何も行動に限ったことではなく、「存在そのものに注目する」ことが大切ですと昨日の講演(@帝国ホテル)でも話しておられました。

「存在そのものに注目する」とはどういうことでしょうか?

講演では岸見先生のお父様やお母様の例を出して話されていたように記憶していますが、『嫌われる勇気』ではこう書かれています。(以下引用)

P209
わたしが勇気づけの概念について説明すると「うちの子は朝から晩まで悪いことばかりして、『ありがとう』や『おかげで助かった』と声をかける場面がありません」と反論される親御さんがいます。・・・

あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまりその人が「なにをしたか」という次元です。たしかにその観点から考えると、寝たきりのご老人は周囲に世話をかけるだけで、なんの役にも立っていないように映るかもしれません。そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。
・・・
存在のレベルで考えるなら、われわれは「ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているのだし、価値がある。これは疑いようのない事実です。
P210
・・・
たとえば、あなたのお母さまが交通事故に遭われたとしましょう。意識不明の重体で、命さえ危ぶまれる状態だと。このとき、あなたはお母さまが「なにをしたか」など考えません。生きていただけで嬉しい、今日の命がつながってくれただけで嬉しい、と感じるはずです。・・・
存在のレベルに感謝するとはそういうことです。
・・・
同じことはあなた自身にもいえます。もしもあなたが命の危険にさらされ、かろうじて命をつなぎとめたとき、周りの人々は「あなたが存在していること」自体に大きな喜びを感じるでしょう。・・・自分のことを「行為」のレベルで考えず、まずは「存在」のレベルで受け入れていくのです。
・・・
P211
ありのままのわが子を誰と比べることもなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。(引用ここまで)

この節のタイトルは

ここに存在しているだけで、価値がある  です。

行き詰ったときに、ぜひ思い出してほしいことばだと思いました。

2016年6月12日日曜日

小児がん経験者の親こそ、アドラー心理学の「勇気づけ」を学ぼう!


アドラー心理学のキーワードのひとつに、「勇気づけ」という言葉があります。
 『アドラーが教える親子の関係が、子どもを勇気づける!だからやる気が育つ!
叱らない子育て』(岸見一郎著)にこう書かれています。

以下p112より引用)
アドラー心理学では、子どもを叱らず、ほめもせず、「勇気づける」ことをすすめます。子どもを勇気づけるとは、一言でいえば、子どもが自分の人生の課題に取り組めるように援助するということです。
 人生の課題というのは対人関係のことです。大人だけでなく、子どもにとっても対人関係は悩みの種になるものです。しかし、人はだれも一人では生きていけない以上、対人関係を避けることはできません。対人関係を避けることなく、何とかしてそこに入っていけるように援助することを「勇気づけ」というのです。
 その勇気づけのために「ありがとう」や、後で見ますが、「助かった」という言葉をかけてほしいのです。(引用ここまで)

そして、「ありがとう」や「助かった」という言葉をかけることで、子どもは「貢献感」をもて、「自分を好きになれる」といいます。

 P123から引用)
どんな時に自分に価値があり、そんな自分のことが好きになれるかというと、自分は役立たずと思っていたけれど、こんな私でも「役に立てている」と思える時、自分に価値があると思え、そんな自分のことが好きになれるのです。

 こうした工夫は、「クラス会議」に組み込まれています。ですからクラス会議を行う学級では、生徒は小児がん経験者を含めて誰しも「勇気づけ」されることになります。

  もう一人のアドラー心理学の第一人者、岩井俊憲氏はこう書いています。

 HPより引用)
アドラー心理学では、技法面での「勇気づけ」を重視します。
 現代のさまざまな問題行動の背後には、勇気をくじかれた状態が見え隠れしています。
 勇気があれば、1998年から2011年 にかけての14年間で毎年自殺者数が3万人を超え続けることもなかったであろうし、人間関係が破壊的になるはずがないとも考えられます。
 子ども達の問題行動の背後にも勇気の欠如が見られます。
 今こそ、日本のあらゆる分野で勇気づけが必要です。

 「勇気づけ」の方法を学び、それを家庭生活においても行ってほしいと思います。

学校で「勇気づけ」られる機会があり、家に帰っても家族に「勇気づけ」されるなら、きっと人生の課題に立ち向かう力を、獲得できるはずです。

2016年6月4日土曜日

クラス会議の効果~四日市市教育委員会の調査研究より~

アドラー心理学を応用して、「いじめのない温かい学級づくり」をすすめる手法として「クラス会議」が注目されています。

四日市の教育委員会は、2014年にクラス会議の効果についての研究結果「共同体感覚を育むクラス会議の活用に関する研究」をまとめ、公表しています。

以下4つの項目すべてにおいてクラス会議の実施前と実施後で向上が確認されています。とても興味深いです。

http://www.yokkaichi.ed.jp/e-center/nc3/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=2173

この調査の対象は四日市市内の小学校4年生。男子16名、女子21名の計31名です。

平成25年10月から11月まで2か月間で毎週1回計8回クラス会議を実施しています。

上記アンケートはその実施前と、8回終わった実施後に回答を得て比較しています。

1)自己受容(3.23⤴3.36)
あなたは苦手な部分も含めて自分のことが好きですか...
なたは自分のことを大切にしていますか


2)所属感(3.32⤴3.50)
あなたのクラスは居心地がいいですか
あなたはメンバーの一人であるという気持ちはありますか
あなたはクラスのみんながいてくれてうれしいなと思いますか

3)信頼感(3.063.24)
あなたはクラスで大切にされていると思いますか
あなたはクラスのメンバーを信頼していますか
あなたのクラスは自分達で自分達の問題を解決しようとすることができますか

4)貢献感(3.063.41)
あなたは人のためにはたらくことが好きですか
あなたはクラスのみんなのために役に立つことができると思いますか
あなたはクラスのみんなを大切にしていると思いますか


特に、注目したいのは所属感や貢献感において発言の少なかった発話少数群(1時間当たりの平均発話回数1回未満)の方が値の上昇が顕著だったことです。

このことは、もともとクラスに対する共同体感覚が強い子どもよりも、むしろそうした意識の希薄な子どもたちの方に大きな効果が表われたことを示しています。

クラスの中心的なメンバーよりも、あまり目立たない、口数の少ない子どもの方がむしろ意識が変わった、仲間意識を感じるようになった、ということです。

このことは、クラスの中で疎外感を感じやすい晩期合併症のある小児がん経験者にとっても、朗報といえるのではないでしょうか。

2016年5月30日月曜日

インクルーシブとアドラーの共同体感覚

新しい団体案内でエスビューローのビジョンを次のように表現しました。

エスビューローの新たなビジョン。それはインクルーシブです。...
インクルーシブ(inclusive)とは何でしょう?
「すべてを含んだ」 という意味に訳されますが、反対の意味をあらわすエクスクルーシブ(exclusive)という単語があります。
「(特定の仲間だけで)他人 を入れない、排他的な」という意味です。ですので、インクルー シブとは「仲間はずれにしない(ならない)」ことだといえます。

闘病中の小児がん患児や晩期合併症のある小児がん経験者をはじめ、あらゆる心身機能・構造に不全のある人も、「みんなちがっ て、みんないい」(金子みすずさんの詩)のであって、仲間として 互いが認め合い、排除されることがあってはなりません。 インクルーシブとは、互いが対等で、信頼でき、つながれることであり、他者を仲間と思える関係のことです。
子どもたちが手を つないだ団体のEsマークは「誰もが欠かせない存在であること」 を暗示しています。普通に誰もが「ぼくたち、わたしたち」と思う ことができ、「ここにいてもいいんだ」と感じられる、そんなインクルーシブをエスビューローは目指してまいります。

130万部を超えるベストセラーとなった岸見一郎氏の「嫌われる勇気」にはこう書かれています。

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。(p179)

すなわち、誰もが共同体感覚を持てるようなクラス、級友を仲間と見なし、自分の居場所があると誰もが感じられるクラス、そんな学級ができるなら、それはそのままインクルーシブの実現なのだと思います。

では、共同体感覚がもてるようになるには何が必要なのでしょうか?

「嫌われる勇気」では、共同体感覚を持てるようになるには、自己受容、他者信頼、他者貢献の3つが必要になる(p226)と書かれています。

自己受容とは、60点の自分を、そのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えること。(p228)

他者信頼とは、他者を信じるにあたって一切の条件を付けないこと。(p231)

他者貢献とは、仲間である他者に対してなんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。(p237)

です。

そして、これら3つを育む具体的な手法として「クラス会議」(大会第2日目森重裕二氏の講演)があります。

インクルーシブの実現→共同体感覚の掘り起こし→手法としてのクラス会議

なのです。

大会の1日目と2日目はこうしてつながっています。担任教諭はじめ皆さまの参加を期待しております。

「アドラーに学ぶ、生きる勇気」
http://www.kokuchpro.com/event/e29cae72cb3ea783f2465045fb77c4d7/